2013年1月7日月曜日

2012年を振り返る

はい、2013年になりました。

何はともあれ明けましておめでとうございます。

今年はどんな一年になるか、、それを考えるに当たり、

では去年はどんな一年だったかをまず考えてみたい。

僕がパッと思いついた言葉は「激動と停滞」である。

政治の分野では今年は中国の国家主席が交代し、

ロシアでプーチンが返り咲き、アメリカで大統領戦があり、

また日本でも衆議院解散総選挙があった。

北朝鮮でも金正恩氏が正式にトップに就任するなど、

日本と関係の深い国の代表が軒並み交代し、その事とどこまで

連動性があったのかは定かではないが、中韓との領土問題も

悪戯に再燃・悪化してしまった。

日本の外務省職員は全員胃潰瘍になっても不思議はないような年であった。


一昨年に続き亡くなる方も多かったように思う。

森光子さん、中村勘三郎さん、浜田幸一(ハマコー)さん、三宅久之さん、

桑名正博さん、大滝秀治さん、地井武男さん、尾崎紀世彦さん、

三笠宮寛仁殿下、安岡力也さん、吉本隆明さん、ホイットニー・ヒューストンさん

など、馴染み深く、広く親しまれていた方の逝去が随分多かった。


また非常に残念だったのは一昨年の原発事故から引き続いての

脱原発やクリーンエネルギー/低負荷社会へのムーブメントが

全て潰されてしまった事だ。「江戸時代に戻ってもいいのですか?」

という脅し文句にも屈せずに「それでもない方がよい」と答える人は

少なくなかったし、夏前の全原発停止は国民の明瞭な意思表示と

その結実だった筈である。

勿論 現時点での雇用を含めた原発の有用性や必要性は否定しかねるし、

原発の発電分を火力に転化するだけのやり方では無理があって当然だが、

そこを乗り越えて新たなエネルギー社会を目指すだけの流れは確かにあった。

しかしどういう訳か政治家もマスコミもその可能性を追求・検討することもなく

よってたかってそれを潰しにかかり、挙句先の総選挙では脱原発派の候補者は

悉く落選するという有様である。

例え不正選挙とまでは行かずとも、国内外からの圧力や肝煎り、取引があった事は

明白であるように思う。

それは政治や国際関係では当然の事だし、それによるメリットというものは

確かにあるだろう(選挙翌日から計ったかのように株価がブレもなく上昇を始めた)。

しかし国民の政治に対する乖離感とマスコミに対する不信はこれ以上ない程に

高まった筈である。おざなりにされている被災地の復興計画や

放射能の影響を選挙に際しての問題として一切追求しなかった

諸メディアは万死に値する。

明るい時代を象徴するような人々は亡くなり、停滞する人々の気持ちに対し、

最早世界は勝手に激動するのである。























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